LGBTQ, 外国人…「差別がない」とは具体的にどういう状態なのだろう?

2019年6月23日 0 投稿者: goldeneuglena

こんにちは、ミドリムシです!

DMM英会話を始めたと別の記事で紹介したと思うのですが、そこでとても相性の良い先生に出会いました。そして最近よく「差別とは何か」について考えています。

今日は、オンライン英会話で話題になった差別についてのはなしを共有し、配偶者氏の話とLGBTQに対する話も交えて、一緒に「差別とは何か」を考えたいと思います。

 

 

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黒人の先生と白人の夫、それぞれが受けた差別的な出来事

 

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オンライン英会話の先生がウクライナでよく遭遇する事

 

オンライン英会話でよく話すようになった、とても相性のいい先生。先生はアフリカの出身で、勉強のためにウクライナに来ているそうです。

 

先生がいわく、

 

電車に乗ると、色々な人がこちらをジロジロと見る。あと、スーパーで高いところのものが取れない時、読んでも店員さんが来てくれないことがある。他の人のところにはすぐに店員さんが来るのにね。

 

これ、すごく悲しいです。母国から離れて頑張っているのに、自分や大切な人がこんなことされたらと思うと、とてもつらい。

 

でも先生は「悪意があるわけではなく、きっとみんな慣れてないだけだから、差別とは言えないかも」とも。

 

あなたはどう思いますか?

慣れていないから、ついネガティブな行動をしてしまうことは、差別なのでしょうか?

 

 

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ヨーロッパ人から見る日本

 

うちの配偶者氏も、オンライン英会話の先生と同じような体験を日本でしています。

 

日本の電車に乗ると、特に中高年以上の年齢層の方か、または子供からジロジロみられるそうです。

ただ幸いにも、お店などで話しかけたときに適当にあしらわれたことはないので、そこまで辛いことはなかった、と。

 

また配偶者氏はこうも言っています。

曰く

 

フランスに帰るとびっくりする。フランスは人種が非常に多様で、加えて旅行者も多い国なので、空港に降り立つと人々の容姿の多様さに圧倒される。そしてフランスから日本に戻ると、今度は日本人がみんな同じような姿で、再び驚く。

 

私は結構、この発言は象徴的だと思っています。

日本人の間にふんわりとした均一性があるというのは私も同意です。そして、この緩やかな均一性を、その中で生きる日本人自身も嗅ぎ分けて生きているのかもです。

 

 

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みんな似ている国

 

ところで、ふんわりとした均一性のある国は日本だけではないようです。

くだんのオンライン英会話の先生が今現在住んでいるウクライナも、均一性のある国のようです。先生の「アフリカ系の人を見慣れていない」という発言からもわかるように、白人が大多数を占めているそうです。

 

日本で外国人が受ける電車でジロジロみられる現象も、おそらくは「見慣れていないから」起こることでしょう。

つまり、外国人や一回留学などで日本の外に出た人は、この均一性から外れてしまっているので、良くも悪くも目立つんですね。

 

 

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LGBTQに対する差別がない状態とは?

 

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特別扱いされずに、LGBTQというカテゴリーすらもなくなること

 

牧村朝子さんという文筆家の方がおられます。共感しているので少しだけ引用させていただきます。

 

もうどこにも閉じ込めないで。……LGBTらしいあり方を求められたくなんかないし、『LGBT当事者としての意見』だなんて持ってはいないのです。私は、私でしかありません。

引用元URL https://withnews.jp/article/f0160430002qq000000000000000G00110101qq000013359A

 

 

結論、目指したいのはさ。

そりゃ、シスもトランスも何にもなく、誰でもオッケーいえーいでパーティできるダイバーシティな場だよね?

引用元URL 「それぞれの船で向かう途中」https://note.mu/yurikure/n/n0eaf02c0470a

 

 

最終的には、カテゴライズされて、様々な属性の人がバラバラに生きるのではなく、様々な要素を持ったまま、どの人も一緒に平和に幸せになれることが理想なんだと思います。

 

例えば、同性同士で結婚することになった時に、メディアに取り上げられたりせずに、ただただ祝福されること。

「○○なんだよね」と、自分の属性を親しい人に緊張して打ち明ける必要すらない状態。

あと、プライドパレードの由来なんてWikipediaで探さないとわからないくらい、みんな忘れて楽しめるようになるとか。

 

牧村さんが言うように、たぶん今は「宝島」にみんなで行くために船に乗っているような感じなんでしょうね。

 

 

 

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まとめ―差別がないという状態とは、フラットにみんな幸せになることではないか

 

差別が無くなれば良いとよく聞く言葉ですし、よく思うことの一つです。

では、差別がないという状態は具体的にどういう状態なのでしょうか?

 

私にとって、差別がない状態とは、多様な属性=ラベルから、その人の価値を判断されない状態ではないかと思っています。

どんな属性があっても、それでカテゴライズして住み分けする必要がない状態が理想です。

 

このカテゴライズがない状態を理想とするなら、悪感情が仮になくても、場合によっては差別的でしょう。

例えば「変わってる人」というカテゴライズは、常にヘイトが向けられているわけではありません。でも、その人のある属性=ラベルをもとに、その人本人の深いことは知らずに、「変わってる人」として扱うのは、「普通の人」から相対的に排除しているので、差別だと思うのです。

 

今はこういうことを考えているというだけで、もしかしたら私は後々考えが変わるのかもしれません。

それにこんな記事を書いている私自身が非常にコミュ障で、英語を母国語とする人の前では委縮してしまうというどうしようもない特性があります。

このコミュ障な態度も、最近は差別だよなと思っているのです。だって「ネイティブ」っていうカテゴリーを作って、相手への態度を変えてるわけで…難しいです。

 

でも、きっと「差別とは何か」を考えるきっかけになったのも、アメリカに来たからだと思うので、記録に残しておこうと思います。

 

 

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