「ニーハオ」と中国人に間違えられること&差別についての実体験に基づく私見

最近、というかアメリカに来て以来「差別とは何か」と考えることが多い。ゲイに間違えられる話で、無意識的にレッテルを張り垣根を作ることも差別だろうな、という話を以前にしたこともある。

 

簡潔に言うと、

 

・「ゲイに間違えられるのが嫌だな」というのも「嫌だな」と思ってる本人の差別的な意識の表れでは?

・「~という特徴(や行動、持ち物)ならゲイ」なので気を付けましょう!というのも「間違えられては困る」と思ってる時点で差別的なんじゃないのか?

 

みたいなことを書いた(と思う)。

 

 

今回は、海外では日本人は割と中国人に間違えられる件について、最近の私が実際に体験した出来事と合わせて考えてみたい。

 

 

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「ニーハオ」と言う/言われるのは差別なのか?日本人が中国人に間違えられる事についての私見

 

 

まずは私のツイッタの引用を。

 

昨日相席したおじさんから「中国人?」って聞かれたので「日本人」って答えといた。その時私は夫と日仏ルー語だったので明らかに外国人だったし、そう疑問が来るのも当然だなと思う。 だからこそ、会話もせず確認もせずに、突然「ニーハオ」と言う・言われる事の意味がわかった気がした。

-2019年9月8日  @godeneuglena

 

 

 

これだけではわかりにくいかと思うので、補足をば。

 

 

先日プール目的でシックスフラッグに行ってきた。昼食をとる際、相席をしたおじさんに「君は中国人?」と尋ねられた。

おじさんがこの問に至る前段階が2点ある。

 

1つ目。相席になった際、おじさん一家と我々は一言二言会話していた。遊園地の食事って高いよね、ディナーパス安くて便利よ、とか何とか。

2つ目。また夫と私は、2人で日本語とフランス語が混ざった話し方で会話しており、例のごとく英語は全く話していない。

 

このような前提で、おじさんから「君は中国人か?」と問われたので、私は「日本人やで」と回答した。

 

出来事は以上。

 

おそらく…と私は勝手にめぐらすが、私の外見はもちろんのこと英語も話してなかったわけで、おじさんにとって「この人(=私)は外国人なんだろう」「どこの出身なんだろう」…と疑問やら好奇心やら警戒心やらが湧いてくるのに十分であろう。

 

よって、Twitterに至るのだ。

 

つまり、「まとも(※あえてこのように言いたい)」の感覚なら、相手がアジア系の人間であっても、おじさんのように、せめて会話というステップを踏んでから出身を問うのだろうと思う。正直、おじさんが私の外見や言葉といった表層から「出身はどこ?」とフラットに聞かずに「中国人?」と限定して聞いてきたところがギリギリ感がありますが。

 

なので、Twitterで話題になっていた、日本人なのにアジア人とひとくくりにして、いきなり「ニーハオ」ということ、つまり会話をして相手を知ろうとすることなく相手の外見からいきなり「中国人」と断定するということは、かなり極端な事例だ。というか、「ニーハオ」と言葉を発したその相手は相当、アジア人を(意識的/無意識的に)軽んじているよな、と。

 

今回のニーハオ問題(勝手に命名する)から私が考えたことは、相手の表層=本質的ではないことをもって、相手について勝手に断定する行為をしてしまったら、それは差別に該当する。

 

例えば、アジア人な外見から、中国人だと判断すること。

女だから、男だから、同性愛者だから…というジェンダーのカテゴリで、その人の性格なんかを先入観を持って判断する。

どこの地方出身だから、どこの国の人だから、だからそのような性格なのだ、と言い切る。

 

こういうモノの見方は、対象となっている本人の性格や価値観や生き方などの本質的な部分を見ていない、つまりは偏見である。そして、これらの意識をもとにして行動または発言してしまったら、それは差別である※。

 

 

中国人と思われることに対する不快感の有無

 

さて、おじさんから「中国人か?」と問われたことに話を戻そう。

 

私は実は、今回のように段階を踏んで出身を問われること&「中国人か?」と尋ねられることに関しては、全く不快感はない

※ちなみに突然の「ニーハオ」は不快だったことを思い出した。以前フランスでやられたことがあるのだが、状況的にもある種暴力的だったし、言われて面白くはなかった。かめはめ波打ち返したけど(推奨しない)。

 

しかしアジア系アメリカ人の方々にとっては、このような問いすらも邪魔くさいものだというのも、理解できる。

 

この違いは何なのか?

 

私が不快ではない理由は、私自身のアメリカにおけるアイデンティティが外国人であるからだと思う。私は私をアメリカにおける外国人だと思っているので、おじさんから外国人として扱われる(外国人であるという前提で出身を聞かれる)ことに違和感がない。上述したように、英語を話してない&人種的にアジア系とくれば、そりゃ「ご出身は?」「中国人?」って聞きたくもなるわなぁ、とそこそこ納得してしまっている。

 

一方アジア系アメリカ人の場合は、アイデンティティがアメリカ人だからいちいち中国人?と聞かれることがじゃないか不愉快なのでは?と思う(あくまでも推測だけど)。自分が生まれ育った国にいて、英語ももちろんネイティブなのに、外見(人種)という表層的なものだけで勝手に外国人と判断されると、ほんとに腹立つ。私が同じ立場ならうんざり通り越してる。

 

もちろん不快感の有無については、そのような扱いを受けた状況によると思う。例えば、純粋な無知により「ニーハオ」を日本語の挨拶だと思い込んでいる場合もある。前後の文脈でも受け取り方は変わるだろう。

 

 

おわりに-そもそも何で差別はダメなのか?

 

私の個人的な意見としては、やっぱり差別”される”と悲しいから、だと思う。

あと、こういう記事を見つけた。私たちが私たちにとっての正しさで生きるということは、他者にとっての正しさも尊重する必要がある、だから他者を攻撃=差別してはいけない、ということのようだ。

 

私自身は自覚している範囲だけでも、結構な偏見を持っていると思う。最近は、見聞きしたことが無い、実際に体験したことが無い物事や人物に対して、先入観があるのは人間の考え方の仕組みとして、ある程度しょうがない気がする。でも私はそれを良いことだとは思っていない。その先入観はあくまでも暫定的なものである。

 

そして日常を生きる中で、モノの見方を改めていきたい。できれば、私の中の無意識的な偏見を意識して、目を開いて生きていきたいと思っている。

 

関連記事:1年目のアメリカ生活が終わった記事

テキサス州サンアントニオに来て1年が過ぎたのでアメリカについて思うことを書いてみたよ

 

 

関連記事:ゲイとかLGBTQについて考えてみたのは以下の2つの記事

ゲイに間違えられることはいけないことなのか?無意識の差別

 

LGBTQ, 外国人…「差別がない」とは具体的にどういう状態なのだろう?

 

 

 

https://mayonez.jp/topic/1030433#num_2863262

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