「私だったかもしれない」アトランタのマッサージ店銃撃事件で思うこと

「私だったかもしれない」アトランタのマッサージ店銃撃事件で思うこと

2021年3月27日 0 投稿者: goldeneuglena

亡くなったアトランタの方々は、私達だったかもしれない。

2つの意味で、私はアトランタで亡くなった彼女達は、私だった、と思ってしまう。

1つは、心のどこかでアメリカから逃げた、という意識が働いていて。

2つめは、私もアジア人として白人からファンタズムを押し付けられた過去の出来事を思い出して。

特にまとまっている記事ではないし、役立つ知識を提供する記事でもないから、投稿するのが怖かったんだけど、私と誰かの頭の中の整理になれば幸いだし、声を上げることに参加できればと思い投稿する。

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生き延びている私

私は、「アメリカから逃げてきて、さらにその後フランスでそれに類する扱いを受けた私は今生きていて、アトランタの彼女達はなくなってしまった」と、漠然と思っている。会ったこともない人と自分を関連付けて考えてしまうのをとめられない。

私と夫は、心のどこか「アメリカから逃げ帰った」というような意識がある。

本当はもう少し長くアメリカにいる事も可能ではあったけれど、欧州に帰りたい、万が一のことがあった時に駆け付けられる距離にいたい、という夫の強い要望でフランスに帰ってきた。

あと正直なところ、色々な社会的な出来事があって、そのたびに絶望と、悲しみと、そして多少の希望もないまぜになって、心が疲れてしまったのだと思う。だから、疲れた私たちは、逃げた(と思っている)。

たまたま逃げる事ができたから、だから私は今生きているのかも」、という思いが頭から離れないのだ。直接的な因果関係はないというのは頭では理解しているんだけど、言いようのない罪悪感が止まらない。置き去りにしてしまったかのような、そんな感覚。

私がこんなに心を近づけてしまうのも、数か月前の私がまさに義母の旦那から白人至上主義というかアジア人差別のジャブを受け続けていたからだと思う。似たような構造にからめとられた私と彼女達、でも私は生きていて、彼女たちはなくなってしまった。私と彼女達を重ねて考えてしまうのだ。

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差別的な行為外に向けて発した時点で同じ

私にとって、命を奪われる物理的な暴力と言葉や態度でのみの物理的には軽度なヘイトは、加害者から発せられた暴力であるという構造的な視点では同じもののように思う。

もっと言うと、差別的な主義を元に命を奪う人も、道で言葉によるヘイトを投げてくる人も、私にとっては同じ種類の人間にみえる。

なので、怖いのだ。

道端であからさまなアジア差別用語を投げてくる人も、8人の命を奪ったあいつも、結果が違うだけの根は同じ差別主義者だ。道端でアジア系に対するヘイトを投げつけたやつが、私を殺さないことは確かなのだろうか?

暴力の種類という小さな違いは、一瞬で軽く超えられるんじゃないか。そのちょっとした違いの背中を押してしまったのが前大統領の発言であり、背中を押された一部の群集の心理を表したのがコロナ禍初期のアジア系に対するヘイトだったのだろう。

つまり、種はそこかしこにあり、芽吹くのは一瞬なのだ。だから、すれ違いざまにヘイトを投げかけてくる人と、8人の命を奪ったあいつの違いなんて、ほとんどない。

白人が全部悪い!ということではなくてさ…

「白人が何か言えば差別と指摘される」という意見はちょいちょい散見されてて、このブログにもコメントを頂いたあことがある。つまり白人が悪いっていう言いがかりだ!ってことなんだと思うけど、そういう意見は基本的に歴史とか連綿と続く構造とかを無視しているんだと私は思う。

白人という個人が直接的には差別に加担しているわけでは無い場合も全然ある、と言うのは知ってる。だって、うちの夫(白人のフランス人)は直接的には人種差別に加担してないし、むしろ声の大きい反人種差別主義。でも、世界の構造には大いに組み込まれていて、正直恩恵を受けているんだよね、だから「そもそも自分たちが恩恵を受けられるシステムの中にあるんだというのは気付くべき」というのは夫の言葉。

人種差別に声を上げることは、アンチ白人と同義ではないよね。

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アジア人を性的に搾取することを許す幻想

私は以前パリに住んでいた時、アジア人女性に執着する白人男性に付きまとわれたことがある。

良く言ってたカフェで話しかけられた当時の私は、フランス語もそれほど上手にできなかったし、友達も多くなかったから、当初は「友達になれると嬉しいな!日本が好きだといっていたから、もしよければ語学交換もできるだろうか?」と思ってさえいたのだ。

でもそいつは、いわゆるアジア人専門で、歴代の彼女がみんなアジア系だとか言ってた。

私は既に夫と付き合ってたし、夫を日本に残しているけれど別にこちらで誰か相手を探すということは露ほどにも考えたことすらなかった。私がこのように何度も説明しても、そいつは執拗に迫ってくる。身体的な接触を強要してくる。しまいには逃げても追いかけてくるし、カフェにも常に張り付かれている状態で、私は部屋に閉じこもるようになった。

私がアジア人だという理由だけで、私のことを自分が持つフェティシズムの道具とみてくる人間がいる。そいつは私の性格や、夢中になってる物事や、努力や、悲しみなど、私自身に固有のものはどうでもよくて、私の人種的な特徴が出ている容姿に、アジア人幻想をいだいて搾取する。

だから、アトランタの事件がアジア系女性とそのステレオタイプに関連するという話題に触れた時、どうしようもなく、心がザワザワした。アジア人であるステレオタイプを押し付けられたような気がしていた最近の事と、そして上記のパリでの出来事が、私の中で突然つながった。

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「国際結婚(カップル)」を目的とした相手探しにモヤッとする理由

私が国際結婚であれカップル間には大きな違いはないと言いたいポジションなのは、上記のような背景も影響している。

そして国際結婚がしたいという意見を聞いて、ひどくうんざりしているのも同じ理由なのだ。アジア人だから私に近づいてきたあの男と、外国人だから結婚したいというその意見のどこに違いがあるんだろうか。

日本にいる外国人は、多かれ少なかれ「外国人だから」という理由で、巡業してきたサーカスの動物のように好奇心の対象になったり、あるいは恋愛対象になったりしている。黒人と言うだけで「セクシー」「かっこいい」というイメージを押し付けられて息苦しい、という人もいる。(またこの環境を逆手にとって日本では自分はモテる!と喜んでいる人もいる)

「国際結婚」を大前提に相手を探した場合、相手の人を私のようなフェティシズムの被害者にしてしまわないだろうか…と思うのは考えすぎなのだろうか?

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おわりに―差別はマジョリティ側としての経験だけでは気付かない

この記事を書き始めてた後、食料品の買い物しに行ったスーパーで女性(白人のご婦人)にあからさまにジッとみられたことがあった。レジに並んでいた時で、その女性は私達の前に並んでいた。

視線を外しながら確認しても、わざわざ後ろを向て絶えずジッとみられるので意を決して私も視線を返してじっと見つめてみた。すると途端にパッと視線を外された。夫に「すごく私を見てくる人がいる」と言うと、夫も「わかる、あの人でしょ。すごい君のことみてくるね」と。

夫は私が受けている視線に良く気が付くのだけど、それは多分、夫も日本で同じ経験があるからだと思う。

日本に住んでいた時、電車に乗ると時々夫は「あの人、僕のことをジロジロみる~」ということがあった。私は今思い返すとすごく申し訳ないのだけど、その時は気付かなかった。日本での私はマジョリティだというのもあって、同じマジョリティ側から夫に対しての視線に気付くのにはあまりに鈍かった。

マジョリティ(または特権層とか構造的な強者とか?)でしか生きた経験がないと、差別される側の受けているものを理解するのは難しいのかもしれない。

私が渡米前に験したものとしては、上述の性的な幻想の対象としてのものと、道端で投げかけられる「シャオシャオ」というあからさまなものだけで、それぞれ当時は「アジア人差別」として一般化して認識するというよりは気持ち悪い歪んだ白人極右男性のフェティシズムと、どこにでもいる不良からの軽い暴言として認識していた。寧ろ最近まで「アジア人差別」というより、稀に遭遇する不運という程度の認識だったと思う。

だから多分、日本での夫の訴えにも気づかなかったし、渡米してすぐも私は色々なことに気付けなかったし(レジで目を合わせてもらえないとか、会話している相手は夫しか見ないとか)、フランスで受けた時もすぐにそれが差別だと理解できなかった(なので初動が遅れたんだと思う)。

アトランタの事件で色々とざわついてしまった私にとって、この記事を書くことが必要だったので、まとまりなく書いてしまった。事件を知ってから冷静ではいられなくて、落ち着くために記事を書いては消して、と繰り返していた。でももしかしたら、誰かの助けになるかもしれないから、そのまま投稿することにする。

海外で生活している人は、時々「おや?」と思うことがあると思う。それが差別のコードだと認識できるようになるには経験と出来事の消化と知識が必要だと思うので、この記事がその一助になれば幸い。

そして忘れてはいけないのが、誰でも差別の加害者になり得るのだ。誰も無罪ではいられない。差別の出発点は恐怖心だから。私だってそうだ。だから、できるだけ自分の中の差別心に気付きたい。

最後になりましたが、アトランタのマッサージ店銃撃事件で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

差別とは何かを管理人が考え続ける関連の記事は、タグ#差別とは?に置いてます。良かったら読んでいってください。

その他で、管理人がモヤモヤと考えている記事は、カテゴリ「微生物のもやもや(雑記)」に置いています。

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