母親が苦手な娘が受け取った「海外」と「好きなこと」
2019年5月11日この記事は管理人ミドリムシ(プロフィール)の日記的な記事です。
私と、母親と、海外について書こうと思います。もうすぐ母の日だからね。メモ的に、私の感情を整理しておきたいとも思うので。
Contents
母親が苦手な娘。母とは性格が違うと思うが…
私は、実は母が苦手です。
母は、若干心配性で過干渉なところがあるものの、世間一般でいう「毒親」ではないと思うし、
衣食住も、教育も、何不自由なく育てられたので、私個人は恵まれた環境で成長できたと思っています。
でも、私は母が苦手です。
たぶん、性格が似てないのです。
私は、他人との協調を求められるくらいなら、一人の方が良いという性格です。
対して母は、周囲との協調や他者の心情を大事にする人です。
私は新しい事が好きで、「よくわからない事」について考えたり調べたり理解しようと試みることが好きです。
母は、餅は餅屋に、という感じで、「よくわからない事」について自分でアプローチしません。
母と私は、根幹の性格こそ似ていないのですが、
私の今の生き方は、母の教育のうちにあるようにも思うのです。
母に感謝していること、母から娘への教育
私の母の愛読書は、旅行雑誌と、詳細なガイドブックと、ハーレクイン・ロマンスです。
小さい頃から、私は母から「若いうちに海外にいきなさい」「好きなことを仕事にしなさい」「結婚する前に同棲して見極めなさい」と言われて育ちました。
この言葉通り、私は大学に入ってから初めて海外旅行に行き、その後も何だかんだ、日本の外に出ては帰国する事を断続的に繰り返しています。
また、収入に直結していないものの、日常を好きな活動で埋め尽くして生きています。
そういえば結婚前に同棲して、そのまま今に至ってます。
こういうのも、ある意味で英才教育な気がします…。
そういえば母は「あんた日本人の男性と結婚するの無理よ、外国人の方が良いわよ」とか言われたこともありますね。母親って、子供のこと良く見てるなぁ、と思います。ちょっと怖いです。
あ、もう一つ「大学は遊ぶところ」ということも言われましたが、半分は違う感じです。
私は割と勉強が好きだったので、大学では遊んでいましたが、勉強もしていました。今でも難しい本を「わからんなぁ」と頭を抱えながら読むのが好きです。
私に小さいころから色々と教育していた(吹き込んでいた)母。
彼女はどうしてこういう話を娘に何度も話したのでしょうか。
母の夢ー客室乗務員になりたかった。
私の母は、若いころ客室乗務員、昔でいうスチュワーデスになりたかったらしいのです。
ただ、どうもスチュワーデスになるには身長が足りなかったので、そこで諦めたそうです(今のも客室乗務員に身長が求められるのかは不明)。
そこで母の母(私の祖母)に「私は何になればいいと思う?」と聞いたそうです。
祖母は「『先生』と呼ばれる職業なら鼻が高い」と答えたそうです。
そこで母は小学校教員となります。
結局、数年勤めて、父と結婚し専業主婦になります。
母は自分の好きなことに貪欲になれなかったことを後悔して、私に「好きなことで生きていきなさい」「若いころから海外に行きなさい」とずっと言っていたそうです。
私はうまいこと好き勝手に生きており、それは母の「幼児教育」のたまものだと思うのですが、それでいいのか?と思います。
それで母は娘に思いを託しただけで、満足なのでしょうか。
おわりー母は苦手だけど、でも感謝もしている。
私と母とは全く違う性格の人間だけれど、母が抱いていた海外への憧れは、どうやら無事に私へと受け継がれたようです。
ただそれは、キラキラした憧れではなく、とても平凡な毎日の営みにすぎないのですけど。
私は、母好みの娘には育ってないけれど(クラシックを勉強させたかったり、女の子っぽい性格に育ってほしかったそうです)、でも母が話して聞かせた旅行の話は面白かったし、
話してくれたことが私の心に種を蒔いていたのだと思います。
いつかその果実を収穫できる日がやってきて、母にお裾分けできれば、と思います。
母のことはやはり苦手だけど、やはり私は母の娘で、色々と引き継いで今に至るのだな、という日記でした。
私は子供がいないので母の立場になることは難しいです。
でも時々思うのです。もし私が誰かの親なら、その子供が幸せに生きられるような種を蒔けるのだろうか?と。
読んでくれてありがとうございました。