何でフランスではタピオカを「Perles du Japon, 日本の真珠」と呼ぶのか調べてみたんだけど…

フランスに来ると、それほど巨大でもない普通のスーパーの粉売り場でタピオカが売られているのを見る。
ちょっと意外に思ったら次はその名称に首をかしげるだろう。Perle du Japon、日本の真珠とは…?
もしかしたら、何とも居心地の悪い気分になる人もいるかもしれない。日本人の私にとって、タピオカは日本食ではないし、最近だと台湾のタピオカ入りミルクティーに象徴される「日本の外からやってきた美味しいもの」という認識である。なので「日本の真珠」と呼ばれていると、何だか他国の文化を日本が盗んでいるかのような、居心地の悪さを感じるのだ。
疑問に思ったらまずはGoogle。すると同じようにモヤモヤしている人が多いことに気付くだろう。こちらの日本語の記事のコメント欄が面白いのだが、なんと澁澤龍彦が1882年に遭遇していたらしい。最近のことかと思ったら、100年以上の歴史があったのだ。
 
という訳で今回は、タピオカを「日本の真珠」と呼ぶ現象についてさかのぼってみたい。
※この記事は「調べてみたけど結論出なかった」に「もしかしたらそんな想像もありうるかもしれない」を加えた素人の記事です。史実に基づいている保証は一切ありません。
wikiにもあるように、まず最初にタピオカ粉をフランスで販売しだしたのは1837年Thomas Groult。タピオカの原産地は、日本も他のアジアの国も関係ないアンティル諸島産(カリブ海)である。
その後1879年に、Georges Billardがナントに植民地に由来するものを売り始める。最終的に1967年に2つの家は一緒になり(合併?)、現在のTIPIKA社となるっぽい。
ではタピオカを「日本の真珠」と呼んだのはTipicaの前身となる2人のどちからなのだろうか?なんなのだろうか?
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19世紀ヨーロッパにおけるタピオカを「日本の真珠」と呼ぶ現象

ではタピオカはいつ頃、誰によって「日本の真珠」と呼ばれるようになったのだろうか。フランス語の文献をさかのぼってみたいと思う。

イギリス人が売る「高品質でお買い得なタピオカ」

1898年のCulture et préparation du manioc(Revue des cultures colonialesのp.22)という記事によると、どうもイギリス人は高品質で安価なタピオカを『日本の真珠』として売るという話もあったようだ。
Les Anglais font des agglomérés sous le nom de perles du Japon , dans des condi
lions de perfection et de bon marché qui défient toute concurrence.Les États-Unis
importent une quantité considérable, parait- il , de fécule de manioc , transformée
en glucose pour les besoins de leurs industries. Enfin , on a fabriqué en France,
sous le nom de tapioca indigène ,des similaires, avec la fécule de pomme de terre
ou l’amidon de maïs ; mais, aux cours acluels , cette contrefaçon est presque
abandonnée .
しかしこの記述については、他に類似する証言が見当たらなかった。イギリスでタピオカを日本の真珠と呼んでいる証言を他に見つけたらぜひ教えてほしい。
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フランスはA. Chapuの★印タピオカ

私がさかのぼっていたなか一番古い事例は1874年のObédience aux commandements de l’Église. Cuisine en carême du baron Brisseにあった。A.Chapuというフランスの人物の商店では、高品質のタピオカをPerle du Japonと呼んでいた。製品は円筒形の箱入りで、ブイヨンやポタージュスープに入れて楽しむことができるものだった。

現在も古物商にパッケージが出品されていて、マークはこんな感じ。他にもこんなのとか。
ちなみに、1880年のRevue des vins et liqueurs et des produits alimentaires pour l’exportationにもChapu氏の店とPerles du Japonの記載がある。さらにこの時代他の店では、タピオカというとPerle du Japon以外にもブラジルのタピオカ、中国の真珠など色々あったことがうかがえる。
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タピオカのブランドとしての「日本の真珠」をめぐる2つの訴訟

この粉もの屋のChapu、1881年2月24日のLe Petit JournalによるとパリでPerles du Japonをめぐる訴訟を起こしている。
簡単にまとめると、Perles du Japonという名称がChapuのものであるか否かという内容である。
ここで面白いのは、彼はかなり長くこの名称を用いてきた、と主張している点だ。
PERLES DU JAPON, est acuis au sieur Capqu, tant par suite d’un usage d’ancien, que d’un dépôt régulièrement opéré au greffe du tribunal de la Seine;
これが本当なら、もしかしたらChapuが日本の真珠の名付け親かも?でも何となく使われだした名称だから訴訟にもなっているんだろうし、人物を特定するのは時期尚早だろうか。
またChapu曰く、Perles du Japonという名称は、特殊な製法のタピオカに用いられたようで、同氏は工場から直接仕入れているので、製法としてもマークとしても特別だという主張をしている(と思われる)。
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少し時代が下がって今度はベルギーでもPerles du Japonをめぐる訴訟があった。
Bulletin officiel de la propriété industrielle et commercialeにある1889年12月20日のBoissonnetの訴えは大筋では1881年にChapuがフランスで起こしたものとほぼ内容は同じで、Perles du Japonという名前の権利をめぐる争いだ。同資料曰く、1870年3月17日からPerles du Japonという名の商品はあったけれど、長い間みんな自由に使えるような公共の名称だったらしい。
年代はわずかにずれるがChapu氏とBoissonnet氏だが、どちらも訴訟において、タピオカは日本と何ら関係ないと認識されていることだ。にもかかわらず、両氏とも、ある種のブランド名としてPerles du Japonという名称の所有権を主張している
ここまでで、1870年代から19世紀末にかけて、何となくPerles du Japonという名称が、何かしらのブランド力を示すものとして用いられ続けたことがわかるだろうか。日本原産ではないことが認識されていたけれども。
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おわりに―タピオカをPerles du Japonと呼ぶことはジャポニスムの名残なのか

結局のところ、「日本の真珠」の名付け親について結論は出せぬまま。ただ少なくとも、19世紀後半のフランス、ベルギー、さらにイギリスも「Perles du Japon」という名称をタピオカに対して意識的に用いていたことはわかった。
ところで、冒頭で触れた澁澤龍彦。彼が日本の真珠に遭遇した1882年という時代を振り返ると、1878年の第三回パリ万博から数年、という感じの時代である。パリ万博といえばジャポニズム(と安直に考えてしまう)。
1870年から顕著だったジャポニスムは、1876年には辞書にjaponismという語が出現するほどの勢いだった。これとほぼ同時代のパリでは、Chapuの★印の店でPerles du Japonが売られていた(遅くとも1874年)。少し後にBillardが植民地に由来するいわゆるエキゾチックな商品をうり始める(1879年)。
澁澤龍彦が1882年に日本の真珠という名称のタピオカに遭遇した19世紀後半の欧州では、日本の特産品ではないタピオカにですらJaponという名前を与えるほど、購買欲とジャポニスムが結びついていたのだろうか。冒頭のブログ記事のコメント欄にある澁澤龍彦の本、私は呼んだことないけれど、コメント主曰く色々なものにJaponと名付けられていたとか。そしてジャポニスムが当に終焉を迎えた現在、そのブランド名だけが再度一般名詞化され残り続けているのだろうか。
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