
【毒親のせい?】漠然とした焦りや不安のある人へおすすめの本【加藤諦三の本】
2020年6月7日モヤモヤとした不安、常に感じる苛立ちや焦り、漠然とした怒り…
あなたが今感じている常に何か満たされない気持ち、心の奥深くで絡まているソレを解きほぐす説明書があれば便利なのに…そう思いませんか?
本記事は、加藤諦三著『自分のうけいれ方』の感想と私の実体験をシェアする記事です。
本書を読むと、良い意味で諦めがつきます。
特徴として、過去と今の感情の関連を、かんたんな言葉で繰り返し解説しています。
読み進めていくうちに、今の自分の苦しみの原因と、未来の自分のための方針を見つけるヒントになるように思います。
以下で詳しく述べていますので、気になる方は是非ご高覧ください。
加藤諦三『自分のうけいれ方』でモヤモヤの原因と対処法を探る。
特徴①:簡単な言葉を繰り返すことで絡まった心を理解できる。
「幼少期の感情が解消されずに残ってしまっているので、大人になった今もこじれていて、苦しい。」
このような話は既に様々な本に書かれている通りで、アダルトチルドレンなどの用語とともに既に知っている!という方も多いでしょう。
しかし、情報として知っていても、腑に落ちない。わかるようで、わからない。
私はそうでした。なぜなら幼少期のことなんて私たちは既に忘れてしまっているから。解消されない感情の残りかすが表面に出てきているだけなので、悩みの当事者にとっては心のメカニズムを理解するなんて手に負えません。
加藤諦三『自分のうけいれ方』でも、幼少期の解消されない気持ちと、今現在の大人になってからの自分を受け入れられない苦しさとの関連が述べられています。
しかしこの本の特徴は、なぜつらいのか、どのようなしくみで苦しいのか、という心の構造がかんたんな言葉と様々な例え話を用いて繰り返し述べているところ。まるでモヤモヤした心をカウンセリングを受けつつ解体して、そして再度それを構築するような感じです。とにかく同じ内容を言い方を変えて繰り返されるので、例示される内容のどれかに共感する箇所を見つけやすく、初心者でもわかりやすいと感じます。
悩みごと、特に心の問題に関して原因がわからない、というのは快適な状態ではないでしょう。この本は原因を探す手がかりをくれるかもしれません。
読み進めると心が辛いことも…
幼少期の満たされないことが今に影響しているとわかる過程で、嫌でも色々なことを思い出してしまいます。
繰り返し述べられる事例や解説のどこかで腑に落ちる瞬間に出会うでしょう。それは「そうだったのか!」と理解できたことを喜ぶ瞬間でもあり、「愛されなかったのか」と知る瞬間でもあるのです。
もともと、だっこをされないで育った子供と、母親からやさしくだっこをされて育った子供を同じに考えることに無理がある。同じ人間でも全く違った動物と考えた方がよい。
第二章「生きる辛さが軽くなる五つのやり方」の「自分一人で生きる土台をつくる」
この本に共感できるということは、あなたも私も、かつて「愛されなかった」ことがあるということです。一番愛してほしかった親に「愛されなかった」ことがあると知るのは、とてもつらい。
何となく、今までもそうだったのかな?という予感がしていた人も多いでしょう。しかし第三者から「愛されなかった」と言葉にされるというのは、まるで内臓が冷たく、重くなってこのまま動けないのではないかと思うような気持ちになります。嫌な予想が当たってしまったかのような感覚です。
実際に私も途中でつらくなって本を何度も閉じました。辛いときはゆっくり咀嚼しながら、時期を見て時間をかけて読むのが良いかもしれません。決して無理はしないでくださいね。
特徴②:樹木を「お母さん」にする?!ユニークな具体策と生きる希望
加藤諦三『自分のうけいれ方』は、心理的な原因を述べるだけではありません。絶望的ともいえる原因を探ったあとは、生きるのがつらいあなたや私がどうにか生きるための具体策も書かれています。これが何だか面白い!
自分は心理的に健康な人とはまったく違った動物だと心の底から決心したら、第二に、「これが自分のお母さん」という気を見つけることである。大きな木でもいいし、小さな木でもいい。
第ニ章二節「お母さんの木を見つける」より
幼児的願望、つまり「本当はこうしてほしかったのに」といいような幼い子が抱く悲しい気持ちは消化するのが望ましい。けれど今更親に訴えたところで、望む対応はされない…そういうジレンマを解消する代替案が「お母さんの木」です。
私もまだ「お母さんの木」を見つけていないので、実際に効果があるのかわかりませんが、「そういう方法もあるのか!」と目からうろこでした。
このほかにも具体的な対処方法として、5つの「生きる辛さが軽くなる」具体策が提案されています。
おわりに-真っ暗のトンネルの先には希望がある。
幼少期に何か悲しいがあったとしても、それが必ずしも親に愛されなかったということにはならない…そんなことをいみじくも理解してしまっているので、逆に自分の感情に向き合えず、蓋をしてみなかったことにしてしまうんですよね。
本当はあの時、大丈夫だよって抱きしめてほしかったのに、親がそうしてくれなかったのは、きっと私のせいだろう。だから親にも理由があったのだ、とわかったようなふりして、今まで年を取ってしまった。そんな人は私だけではないと思います。
でもうまく蓋したつもりでも、毎日生きるのがしんどくて気分が落ち着かない…。
加藤諦三『自分のうけいれ方』は絡まったこのような心を解きほぐしながら、傷が残った心でも私たちはそのまま生きてよいのだ!という力強い希望をもらえる本でした。
最後に私にとって非常に心に響いた箇所を引用したいと思います。
「失敗したら、失敗したからこそ自分なのだ」ということをハッキリと自分が理解することである。
あなたの失敗はあなた「固有の失敗」なのであり、あなたの成功はあなた「固有の成功」なのである。
以上2つの引用は第六章1節「固有の体験を受け入れる」より「失敗こそがあなたの存在証明だ」
最後まで読んでくれてありがとうございました。
原因が漠然としてて把握できないような、モヤモヤや不安感、苛立ち、焦りを抱えたあなたが、少しでも楽に生きられますように。似たような心理状態にある同志として、心から応援しています。