コミュ障、フィンランドの赤十字に寄付した話

2023年3月18日 0 投稿者: goldeneuglena

色々あって、ついに寄付することにした話。

なんと月額固定で寄付することにしたけどドキドキしている。ドキドキと同時に気づいたことがあるので、今回は寄付とエゴにまみれた私の人助け方針みたいなものをメモしておこうと思う。

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フィンランド赤十字への寄付のきっかけはトルコ&シリアの地震

今回の寄付のきっかけは、トルコ&シリアで起こった地震です。

巨大な地震のせいで、ビルはウエハースみたいにあっけなく崩れて、地獄。

天災は直接的には誰のせいでもなく(間接的には管理を怠った人や政府の怠慢なんだけど)、それはもうどうしようもない、みたいな虚無感を、私は昔、今と同じようにテレビの前で感じていたのを思い出したのです。

東日本大震災の、あの黒い水が、建物を家をまるで紙でできた細工のように軽々と押し流してゆく光景。私は被災していませんが、きっとあの時を日本で過ごした人は、きっと大なり小なり今も思い出すんじゃないかと思います。私にとっては、それは罪悪感と無力感とともにある記憶です。

もうあの時の感情を抱き続けないために、別の方向に舵を切ってもいいのではないか、というような考えが小さく芽吹いたというか、やっと腰を上げたという感じなんですね。当時もボランティア活動などすればよかったけれど、自分のことが大変な時期で、どうにもできなかったのです。

この東日本大震災の時もですけど、日本はいかんせん地震の多い国なので、時々で各国からの支援を受けた国なんですね。助けられて生かされている国の出身なので、どこかでもらったものを返したいというような気持ちもあります。

あと、多分直接的に一番大きな切っ掛け、トルコ人の知り合いができたこと。

どうもこの地域の人らしいんですけど、その人と「日本とトルコは地震が多いよね」なんてつい先日話してたら、今回こんなことになってしまって。ああ、なんてことだろう。

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私は共感して助けたい派

幸運にも私は大きな被害を受けていないだけで、相手の不遇は自分に訪れているものだったのかもしれない、という感じがあるので、今回の相手を助けることは、私自身を助けることにもどこかでつながっているように感じます。

だから逆に言うと、戦争とか宗教とかの理由で大変なことになっている人への支援は、正直なところ今回のトルコ&シリアの地震ほど、私事として感じていないのです。

でも今回、毎月少ない額ですが定額で寄付する内容は、半分はフィンランド国内へ、もう半分は外国への支援になります。フィンランドにもウクライナからやってこざるを得なかった若い世代の人とか、私の友人とか、そういう人もおり、

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コミュ障/人間嫌いにとっては赤十字みたいな慈善団体は便利な存在

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私は人の好き嫌いが激しい

私は共感できる人や好きな人を助けたいんですね。私の気持ちも時間もお金も、とても貴重で大切なものだから、嫌いな存在に支払いたくないんです。

博愛なんて、まじで無理。

ましてや宗教的あるいは文化的な動機基づいてお金や助けをせびられるのが、本当に心底嫌いです。

私は助けたいから助けるのであって、「助けるのが普通」という価値観の枠組みやルールに則って助けているのではないの。私は私のエゴでお金を使うのです。

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慈善団体への寄付は便利!エゴを発揮する必要がない!

で、そんな好き嫌いが激しい私にとって、慈善団体への寄付って楽なんですね。だって自分で相手を選ばないでもいいので。お金を送るだけで誰かを助けることができるし、しかもその過程で発生する諸々の精神的労働を省けちゃうんです!最高!人間嫌いでコミュ障なのに人助けしたい微妙な立ち位置の人に寄付ってピッタリね!

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おわりー愛をもってエゴ全開で好きなことにお金使う

いろいろ書いたけど、寄付はお金を使うことで誰かを助けてるので、好きなお店で自分の好きな物を買うのも慈善活動と似ているのかも、とも思うから、みんなもう愛をもって経済活動すればそれで万事うまくいくよな。近所のパン屋さんとか、地元の魚とか、そんなん。

私は赤十字に寄付してるけど、猫好きな人は猫の保護活動の団体に寄付するでもいいし。そういや昔さ、保護猫の活動したいから、まずはアムウェイで「権利収入」を得るという人がいたんだけど、今の私は自分のできる範囲で猫を飼ってお世話をしたり、それが難しいなら慈善団体に寄付するとか、ボランティアするとか、そんなんでもいいじゃん、と思ってる。フルタイムで保護猫の活動と自分の収入を賄っているわけではないけれど、別にフルタイムで慈善活動しなくてもいいし、アムウェイよりよっぽど直接的な支援だと思うんよな。

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