ポルトガル旅行、回顧録②コインブラ→ポルト(2023年7月)
2023年10月22日リスボンでは早朝にエアビーを出発し、夫の家族とはさようなら。
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リスボンでアクシデント!?コインブラへ
そこからEstação do Oriente(たぶん日本語だと東駅)に行く。
が、それがとんでもなく大変だった。なんと、移動当日、メトロが動いていなかったのだ~!なんて素敵なヨーロッパ~!駅の入り口のシャッターが閉まっていて、近くには同じように唐突な運休に戸惑う人々。なんてこったい。
とりあえず、夫は別ルートで行く方法を検索しつつ、私は同時に流れているタクシーを拾えるように探しつつ、二人で徒歩。しかし幸運にもそれほど歩かずにタクシーに乗れた。よかった。移動日ってだからちょっと緊張する。
ちなみにこんな面白アクシデント、冷や汗過ぎて写真。文字だけで思い返す余裕のなさ、むしろ迫真でしょ。
タクシーの車内で、後発でエアビーエアを後にする義父一家に「最寄りのメトロ駅が動いてないので、早めに出発して別ルートを確保したほうがいいかも」と連絡した。だってちびっこ義妹は準備にすごく時間がかかる。たぶんギリギリに出発&アクシデントだと空港にたどり着くまでハラハラしちゃう。今夏最後のやさしい嫁業務である。
さてさて、後光がさして見えるタクシーの運転手さんにさようならしつつ、東駅に到着。
ここからバスターミナルでFlixBusを待つわけなんだけどさ。
なんかバスターミナルが大きいし、電光掲示板とか発着案内とか見当たらない。初見殺しだぜポルトガルの長距離バス。
FlixBusを予約すると、チケットがもらえる。そのチケットの右下にパースペクティブ広すぎるGoogle地図があるんだが、その上にほんのちょっと、プラットフォームの番号が小さく、ふんわりと複数記載されているのだ。
これや。ここに行けばいいんや。
ここに行けばいいんだけど、「D33はこちらです」「つぎD33に入ってくるバスは何番です」みたいな親切な案内はないし、ふんわりと複数の可能性を示されているので、自力で探してプラットフォームに到着するほかない。
一応、出発予定のプラットフォームには到着したんだけど、まあ不安よね。だってプラットフォーム複数記載されとるし、プラットフォームにも発着案内はないし、先の見えないソワソワ感まるで私の人生。思いっきり不安がってたの顔に出てたんだろうね、現地民っぽいおばちゃんに「どこいくん?コインブラ?そしたらここで大丈夫やで、基本的にコインブラ行は毎回ここから出発するし」って教えてもらった。超優しい。
世界各国それぞれの国に優しさがあるけれど、ポルトガル出会った人々の優しさは、いい意味でおせっかいというか、自分が知ってるベストは他者にも積極的に示すというか、困ってる相手には積極的に助けて干渉する、みたいなのがあるような気がする。
フィンランドの優しさは、みんなそれぞれ事情があるよね、という前提で距離を取ってくれる優しさだと思ってて、だからこちらから何かしら言わない限り相手からはアクションが少ない気がする。
どちらも優しいのだね。
リスボンからコインブラまではバスで向かうFlixbusは分かりやすい緑色だった。ごく普通の長距離バスで、何の変哲もない。
コインブラはリスボンよりも北にあり、内陸の道を行く。
なだらかな丘陵と深い緑、霧がかった車窓に眺めつつ、この辺りは洞窟が多いんだよなと思いだす。ポルトの後で洞窟をいくつか見に行くので後述する。
ポルトガルってもっと乾燥して暑い国なのかと思ってたけれど、霧が立ち込めるシントラもあれば、大西洋の海は冷たい。
コインブラで見たかったもの
ところでなぜコインブラに行くのかって?いや、いつも通りロマネスクを探しに行こうと思ってね、しかもコインブラってポルトガルの古都なわけよね。ここからポルトガルは始まったといっても良いくらいの歴史のある街だし、面白そうじゃんね。
でも別記事でも書いたけれど、私の調査不足により目当てのものを見ることができなかったの。やらかしたわ、無職の時よりも圧倒的に時間が足りないけれど、でもそれを言い訳にしても余りある。
メインではないものの一応見てきたSão Tiago教会堂もロマネスク建築。
三身廊の小教区教会堂。アプシスも三つ。いろいろな時代に再建や修復を受けている。
貝の彫刻があるのが巡礼の教会堂。
https://pt.wikipedia.org/wiki/Igreja_de_Santiago_(Coimbra)#Liga%C3%A7%C3%B5es_externas
Santa Cruz修道院が予想外に良かった。
ふらっと寄っただけだったSanta Cruz修道院がね、よかったんよ。
教会堂の青いタイルが壮観、回廊も美しい。
聖遺物が大量に残っていて、とにかく量に圧倒される。全部昔の人の遺体の一部だと思うと、それを後生大事に保管して飾っている状況が超現実的というか、とても奇妙な感じ。
コインブラってポルトガル最古の大学があったり、ポルトガルの最初の王様二人が眠ってたり、後にシントラで訪問するレガレイラ宮殿の彫刻担当者がこのコインブラの学校出てたりで、古い都であり文化の中心地だったんだと思う。結構コインブラ周辺ってもっと掘り下げると面白そう。
おわりにーコインブラは再チャレンジする!
ほんと、もっと調べていけばよかった。コインブラは途中下車では足りない街だ。