「子供欲しくない」って普通に言える世界がいい。私が不安に思っていたこと。
2020年2月9日突然ですが、私は子供が欲しくありません。欲しいと思ったことがないのです。
何となく子供欲しくないなと思っている私がサラッとネットで調べたところ、同じく子供欲しくない考えの人々については下記のような語が出てきます(クリックすると別窓でWikiが開きます)。
Twitterで上記の単語を調べると、該当する人の主張がたくさん出てきますが、結構内容が過激なのです(火種になりそうなので引用はしません)。
これらの過激な主張は理解できないわけでは無いけれど、でも私自身は子供を持つ人(やその決断をした人)に対して否定的に思っている訳でもないので、何だかしっくりこないなぁ、とも感じてしまいます。
そして私みたいな穏健派も実はけっこう世の中にいるのではないか?と思い、記事にしようと思った次第です。
本記事は何となく「子供欲しくないな」と思っている人、特に子供欲しくないことに対して心が苦しいような罪悪感を感じている人へ「私も子供欲しくないよ、ひとりじゃないよ」と伝えたいという趣旨です。
子供欲しくない私がしんどいなと思ったいたこと。
私は子供を産みたくないと今のところは思っています。
ですが、何か確固たる主義主張があって産まない選択をしているのではないので理論武装もしておらず、ただただ欲しくないです(細々とした理由がいくつか重なっているのかもしれません)。
また子供を持つ人に対しては、「大変そうだけど、それなりに幸せなんだろうなぁ」と思って眺めています。幸せは人それぞれなので、きっと色々とストレスはあるかもしれないけれど、幸福もあるのでしょう。
ちなみに子供嫌いではないので、知人の小さいお子様たちと遊ぶのは面白いです。
(2021年2月追記;年の離れた義理の妹と接するうちに、我儘な子供は苦手だ…と気付いてしまった記事はこちら)
そんな感じのいわば子供欲しくない穏健派な私が今まで抱えていたしんどさについて、まずは書いていこうと思います。
所属が見つからないしんどさ。
子供を持つ人々は「子持ち」というカテゴリーに属することができます。
では子供を欲しくないと思っている私は、何に何処に属するのでしょうか。
それらしき用語としては、反出生主義やチャイルド・フリーなどがありますが、こういう名称の人々は何かしら主義主張があるようで、そこまで確固たる理論を持ってない私にはしっくりきません。
しかもずっと子供を産まないといのかというと、それもよくわからない。だって未来はわからない、私は預言者ではないから。
ただ、何となく子供は欲しくない。
そんなぼんやりとした「子ども欲しくないなぁ…」という声は、あまり大きくないからか、仲間を見つけるのがむずかしいのです。
「なんかなぁ、そんなに過激派じゃないけど、子供欲しくないんよねぇ」程度の私は、所属の欲求が満たされてなくて、不安を感じてしまいました。
生物的に欠陥があるように思えてしんどい。
また、私の周囲だけに限定すると、今のところ子供を欲しい・子供を産むという選択をした人が目立っていました。
何の疑問もなく普通に子供欲しいという人や、30代になって突然欲しいと思った人、ずっと欲しくて40歳を過ぎて出産した人などなど。
子供を持つことに積極的・肯定的な人の意見を目にしていると、私のように感覚的にも子供欲しいなと思ったことが無い人間は、どうも生物として決定的にダメな部類のように思えてくるのです。
欲しいとすら思ったことがないというのが、子供ができる・できない以前に、子孫を残すという生き物の原則から大きく逸脱しているようで、不安でしんどい。
そんな中、先日友人に教えてもらった記事で犬山紙子氏が
私は昔から、「子どもが自然と欲しかった」という人に出会うたび、その気持ちが分からなくて、自分には母性みたいなものが欠如しているのだろうかとずっと悩んでいた。人と話していて、「子ども欲しいよね?」前提で話が進むたびに戸惑ったっけ。
読んで「私は一人じゃないんだ!」と驚きました。
ただ、犬山さんは
不安はたくさんあるものの、「産みたくない」って思うことはなかったんです。
–「子供が欲しいかわからない…3年悩んで出した結論」 (2017/09/05, WOMAN SMART|NIKKEI STYLE)
ともおっしっており、最終的には子供を産む選択をしていらっしゃいます。
犬山さんのように「欲しいかというとわからないけど、産みたくないわけでは無い」という答えを見つける場合もあるので、問いの立て方は結構重要なのかもしれないですね。
子どもを産むこと=正しい世界っぽい気がしてしんどい。
上の生物的な欠陥があるのでは?にも関連するのですが、子供を産むことは絶対的な正義のような風潮?というか世間的な何か?を感じるのです。
子どもを産まない・産みたくないという考えは、あまり良くないことのような(いや、でもこれも私が勝手に感じてるだけで、気のせいかもしれないのですが…)
サンアントニオに来てから「子供は?」という問いが増えたんですよね。
私は専業主婦なのですが、子供を作らない専業主婦って「子供作らないの?暇じゃない?何してるの?」って言われるんですね。
悪意無く普通に問われることから、子供を作る世界はそれほど普通で、そしてそれは問うた人にとっての(意識的無意識的であろうと)「そのようにあるべきこと」=正義なのです。
子供を産むことが正しい世界では、「私は子供欲しくないんだよね」なんてまぁなかなか言えないです。
余談:夫は反出生主義に近い。
ここまで私の話ばかりしてきましたが、夫はどうなのかということも記しておきます。何故って、私が「子供欲しくないです」と表明したときに必ず「夫さんはどうなの?」と尋ねられるから。
夫は感情的には「子供はいたら可愛いだろうなぁ~」と思ってますが、理性的な部分では私より過激な反出生主義です。
曰く、環境問題などを含めて地球の未来が諸々不安なので、安全性を確保できる保証がないのに世代をつなぐことに疑問を感じている。また現状では人口が多すぎると思っているので、徐々に減るべき(日本は人口減少していくので興味深い観察対象)と考えています。
結論に達する過程がちょっと違うんですが、夫も私も、実際的な部分では「子供を産まない」ということで一致しているという状態なのですね。
おわりに-子供を産む/産まない―どんな選択も尊重される世界
犬山氏のインタビュー記事にこのような内容がありました。
社会の風潮はまだまだ「女の幸せは子どもを産んで育てること」って考え方がメジャーですが、今回子どものいない人にとったアンケートで、「子どもを持たないことで生まれる悩みや迷いはありますか」と聞いて一番多かった回答は「特にない」。唯一あるとしたら、周りからの「産まないの?」という言葉という結果でした。
ここからも分かるように、「産まなかったけど幸せ」という人が事実たくさんいるってことを、まだまだ社会が隠しているんですよね。だから、子どもを持つことだけが幸せになる道ではないってことがもっと浸透すれば、変に焦らなくてもすむんじゃないかなと思います。
–「子供が欲しいかわからない…3年悩んで出した結論」 (2017/09/05, WOMAN SMART|NIKKEI STYLE)
「産まなかったけど幸せ」という人がたくさんいる。
結局、私は何を願ってるのかというと、実は隠れている選択肢の多様さ、そしてどの選択肢を選んだとしても、そこそこに幸せだよ、というのを示せる世界に生きたいのですね。
加えてどの選択をした人とも戦争したくないの。みんなで仲良く生きたい。
例えば私はLGBTQについて考える記事でも、カテゴリー自体が消えるくらいのフラットな世の中が最高だと思っているので、子供を欲しい/欲しくないという話題にしても、「子供を持たない」ということがフラットに扱われる日がくればいいのに、と思うのです。
私が苦しかった理由は、新しい命をはぐくむこと=絶対的な善と思い込んでいたからかもしれません。
しかし反出生主義や様々な思想を知ると、子供を産むことは絶対的な価値観でもないと分かります。
つまり視点によって良くも悪くもなるので、私やあなたが子供を欲しくないと思っても、それも絶対悪だと断罪できないのです。
(また裏を返すと良いことだと賞賛されることでもないと私は思うので、過激な意見には賛同しかねるのですが。)
ただ、私はこれからも身近な人がおめでただったら、やっぱり「おめでとう!」と言いたい。
それは子供を産むことが絶対的に善であるからというよりは、その人が望んで得た成果に対しての「おめでとう」と言うのだと思います。仕事で昇進したとか、論文が受理されたとか、当事者が頑張って得たものと同じレベルで。
今のところ産む事例の方が情報が多いと感じているので、私は私のように「欲しくない」と思っている側の人間の言葉も残しておく方が、同じような内容でモヤモヤしている人に寄添えるのではないかと思ったで記事を書きました。
最後になりましたが、この記事のきっかけをくれた友人へ感謝。
他のモヤモヤした記事を読みたい人は、カテゴリ「微生物のもやもや雑記」へ。
広告
引っ越したフランスでモヤモヤしながら散歩してる記事。
子供産まない選択したのに子育てに関する日仏の文化の違いに翻弄される記事
子供欲しくない話の最新記事。思考がアップデートされてスッキリしました。
――――――
当ブログはアメリカ南部の町サンアントニオの観光情報や
アメリカ生活情報も書いてます。
当ブログの最新記事はこちらから!
では最後まで読んでいただき、ありがとうございました!